迎え火の日
私が初めて迎え火を焚いたのは、大学何年の時だったでしょうか、
飼っていた犬が17年の往生を遂げた翌夏のことでした。
お盆の始まる13日の夕刻に、母から原付でちょっと走って
オガラを買ってきなさいとの命を受け、オガラとは何かと聞くと、
見ればわかるから急がないと無くなるよと言われ、
何を買うのかも分からずに走ったその日です。
確かに見れば分かりました。
小さな小枝のような割り箸にしては太い、
その木は麻の木だそうです。
それまで、私の家には不幸がなく、
両祖父母も健在で迎え火を焚いたことなど初めてだったので、
その煙を目印に犬が帰ってくるという話は、
私にとってとてもロマンのある話に聞こえました。
悲しさがなかったのは17年間本当に元気で
天寿を全うした彼のおかげだったのでしょう。
それからの迎え火
その数年後、2匹目の犬が、病気で亡くなりました。
苦しそうな最後でした。
大きい体格と裏腹に8年という短い生涯を終えた彼もまた、
2つ目の迎え火で迎えるようになりました。
そして、次は母でした。
犬とは違い、実母の迎え火というのはなんというか、
2年目の迎え火まで涙が出る、そんな感じでした。
煙が昇っていく、まだ明るい夏の夕方の空は、
薄い水色をしていて時間が経つのを忘れてしまうような
煙と一緒に昇っていくような不思議な感覚です。
それはきっと今年も変わらないでしょう。
各地で違う迎え火
私の地元では、オガラを焚くのみですが、地域によっては、
ナスやキュウリにオガラを刺して馬や牛に見立て、
亡くなった方が帰ってくるための乗り物としてお供えしたり、
迎え火の火種をお寺まで頂きに行ったりするようです。
様々に形は違えど、亡くなった方やご先祖様をお迎えする
その心に変わりはなく、お盆の夕方というのは、
何か物寂しいようなそんな気配を見せる
空の色でもあるような気がします。
コメント